◆もじ食うひとびと
小説の続きを読もうと思ったら、すっかりできなくなっていた。
もちろん日本語は読めるのに、言葉が意味として全く頭に入って来ない。三行くらい読んだところで、「いま何読んでいたんだっけ」の繰り返し。たま~に油断していると起こる現象だけど、初めから「読めない」の状態になったのは初めてで、血の気がひいた。
読みたい作品や、楽しみで後回しにしていた本もたくさんあったのに。
疲れすぎて、とうとう読書まで出来なくなってしまったのかな~って恐怖を覚えたんだけど、不思議なことに、するする読めたものがあった。
それが、文学作品だった。
どこからが近代文学なのかとか、文学の定義づけとか、そういう話はひとまず置いておくとして。
読めない病にかかったと思ったのに、ふと手に取った志賀直哉は驚くほど読めてしまった。
びっくりした。
こんなに、弱った人の心に入って来るものなんだなあと驚いた。
そこからは、再読ラッシュ。
中島敦、芥川龍之介、阿部公房、宮沢賢治。本棚にある本で、好きな話やシーンをぱらぱら読みしたけど、前に読んだ時よりも沁みた。どうでもいいけど、「沁みる」って言うと、本当に心の奥底まで浸透した感じがするよね。
言葉使いが古いからとか、テーマが重いからとか、自分でも理由は分からないけど。
特に、谷崎潤一郎の文章の美しさがものすごかった。ストーリーじゃなくて、文章そのもの、その情景の美しさに圧倒されて、鳥肌立てながらぐずぐず泣いてしまった。視覚というよりも、内側からじわじわ「うつくしいもの」って感じるみたいな。うまく言えないけど。
前に読んだ時は、「SMって言葉がなかった時代のSM小説!」って適当な印象だったんだけど(本当に最低だ)、もう悔い改めた。いや、事実ではあるんだけどさ。
2017年の終わりに、1年のトップに躍り出るくらいの読書体験をしてしまった。
もうひとつ付け加えると、「君、~し給えよ」ってセリフが出ちゃうような時代が好き過ぎてだめ。苦しいほどしっくりくる。
こんなこと書いてないで、もう寝給えよ、鳥野君。